


新年明けましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いします。
年末に映画「ムーラン・ルージュ」を見ました。
ニコール・キッドマンが主演する歌あり踊りありの豪華絢爛なミュージカルです。
その中に当時、ムーランルージュで踊られていたフレンチ・カンカンのシーンが
ありました。思っていたより、過激でセクシーな踊りでした。
博物学者で作家の荒俣宏氏が当時のヨーロッパの風俗に関して発言しています。
「はっきり言えるのは、20世紀の初頭くらいに、女性が、自分自身の演出を
それまでの身分や知性や人脈の強調、つまり社交術から、今日言うところの
セクシーな演出、すなわちエロティシズムに一気に変えたチャンスがあるんですね。
誰が変えたかというと、これがダンサーなんです。
つまり、あらゆる女性がみんなダンサーになってしまったと言っても言い過ぎではない
というくらいの変わり方だったというのが、僕のずっと抱いてきた印象なんです。
ちょうど19世紀に、今のダンスホールに似たようなものができる。
ここには学生とか若い連中がぞろぞろやって来て、それまでの革命期くらいの
社交ダンスじゃなくて、今のタンゴに近い、お互いに情熱をぶつけあって
コミュニケーションをするエロティック・ダンスをやる。さらにもうちょっと経つと
男女が二人で踊るんじゃなくて、一方的に女性が見せるダンスになってきた。
あれによって、女性が社交術じゃなくてセクシーさで自分の全存在を相手にアピールする
というノウハウを手に入れたんじゃないかという感じがしているんですけどね。」
ムーラン・ルージュでは、ダンサーが完全にショーガール化し、当時の女性たちにセクシーに
振舞うことのお手本を見せる役割を果たしたようです。
今、スペイン舞踊のフラメンコがブームです。
フラメンコのステップを踏む人たちは、日本フラメンコ協会によると約50000人だそうです。
協会が設立された1990年の約3倍になっています。
スペインへの旅行熱などもあって最近愛好者が増え、特に中高年の増加が目立ちます。
フラメンコの動きは単純なものから複雑なものまで多様で、年齢に応じた踊りをすることが可能なんだそうです。
社交ダンスからの転向者も多いらしいです。
社交ダンスはパートナーの男性が必要ですが、教室では男性が少ないことが多く、
女性は順番待ちをしなければなりません。その点、フラメンコは女性だけでも
踊ることができることが人気の秘密みたいです。
また、社交ダンスは「堅苦しい踊り」というイメージがあり、これが中高年を社交ダンスではなく
フラメンコに向かわせているらしいです。
フラメンコも本来は男女が踊るカップルダンスだと聞きました。
ダンス人口を増やすには、社交ダンスも一人で踊れるようなダンス、あるいは気楽に踊れるダンスを
取り入れた方がいいのかもしれません。
新聞に、あるアメリカ人女性がこんな投稿をしていました。
彼女は17歳になったらボストンの社交界にデビューすることが決まっていたので
準備のためにダンスの学校に通ったそうです。
そこで教わったことは、足の運びとか、優雅さではありませんでした。
基本的なボックスステップを習いながら、ダンスに伴うさまざまなマナーを
重点的に教え込まれました。
男子ならパートナーの女性を選ぶときのマナーです。
会話のきっかけを作るために、彼女たちに食べ物や飲み物を持ってくるときの作法などです。
女子なら足首をクロスさせ、会話が途切れないように心を配ることなどです。
彼女はそうやって社交界に出て、正式な社交ダンスを踊ったそうですが、
そのダンスは、優雅さとは無縁のものであったようです。
彼女は日本人が社交ダンスを美しく踊るのを見て、すっかりとりこになりました。
アメリカ人のようにおしゃべりしながらではなく、もっと優雅に踊るために、彼女は
日本のダンス教室に通って、日々練習に励んでいるそうです。
彼女は日本人の趣味に対する態度に魅了されたらしいです。
趣味とはいえ、みんな真剣で、完璧になりたいと努力する姿は、仕事をしているときと
同じだと彼女は言ってます。
アメリカ人は、趣味は楽しみのためだと割り切っているので、真剣すぎるほど
没頭することはないそうです。社交ダンスはあくまで余暇のレクレーションという位置付です。
同じ社交ダンスといっても、日本人とアメリカ人では取り組み方が全く違うことがわかりました。
日本人のように、社交ダンスを「真面目に」楽しむ国民は珍しいのかもしれません。
朝日新聞 10月7日 日曜版より
昨年、学生のダンス競技会を見にいきました。
私の学生の頃と同じように、男子学生は詰襟の制服、女性はドレス姿でした。
今時、詰襟の学生服を着る大学生なんてほとんどいませんので、とても妙な感じがしました。
1948年(昭和23年)6月13日に学生によるダンス競技会が「新宿フロリダ」というダンスホールで行われました。
これは早稲田大学と慶応大学の「早慶戦」でしたが、翌年から東京大学教授、星野昌一を中心に
して学生競技ダンスの本格的な運営が始まりました。
当初のパートナーはプロのダンサーだったそうです。
この年には「学生ダンスの基本五原則」も制定されました。
内容は「競技会は学校を背景とする団体競技を主体とすること。」
「選手である学生はもちろん、パートナーもアマチュアであること」
「学生服を着用すること」「学生の自主運営によること」「現役中心主義をとること」の五項目です。
現在の学生ダンスでもこの原則は遵守されているそうです。
男子学生が詰襟の学生服を着るのは、ダンスを踊っていても「不良」ではない、我々はスポーツとしての
競技ダンスに真剣に取り組んでいるのだ、と主張する必要があったからだそうです。
逆にいえば、当時、社交ダンスをやっている若者は「不良」として見られていた、ということでしょう。
当時、ダンスを始めた学生は勇気があったと思います。現在の学生ダンスの隆盛は
勇気ある先輩たちの努力の上に成り立っているのでしょう。
1907年2月16日の夜、大阪中ノ島の大阪ホテルにおいて「男女混合舞踏会」が開かれました。
参加したのは大阪府立清水谷高等女学校の小林江つ子はじめ7名の女性教員と、
商社・銀行に勤める男性13名からなる「神戸舞踏クラブ」でした。
この舞踏会は、体育教育にダンスを導入しようと考えた女性教員が練習を兼ねて企画したものらしいです。
ところが、この会場に新聞記者がいたことで、事態は大きく展開しました。
翌朝2月27日の「大阪毎日新聞」が紙面の片隅にこの舞踏会の様子を報じました。
舞踏会といえば上品に聞こえるが、二人ずつ相抱いて楽の音につれて舞うのであるから
何の事はない歓楽宮で、某女学校の女教師が年頃の男の腰を抱いて踊っていたのは一奇観である。
読者からの反響が大きかったため、以来、連日のようにこの「問題」が紙面を大きく飾りました。
その中で「大阪毎日」は不道徳な女教師を糾弾する一大キャンペーンを実施しました。
「大阪における舞踏問題」は翌月から論争の舞台を「婦女新聞」に移し、東京で論議されることになりました。
また論争の焦点も、体育教育にダンスが必要かということから、日本の社会の中で
社交ダンスがどのような地位を与えられるべきかという広がりをもつテーマとなりました。
この論争の結果、舞踏愛好家たちは、世間の批判をかわすために、自ら自主規制を作りました。
それは、公衆の中では抱き合って踊るべきではない、というのものでした。
こののち、日本の社交ダンスは室内でのみ行われるようになりました。
なお、清水谷高等女学校の小林江つ子は、この事件ののち、進退伺いを提出し、9月3日に
休職となりました。その後、退職となったらしいです。
ヨーロッパ映画などを見ると、結婚式の宴会や、祝祭などでダンスを踊るシーンが
映し出されます。例えば公園や、街なかの広場でダンスパーティが開かれます。
男女がペアを組み、屋外で踊っています。
これに対して、日本における社交ダンスは基本的に、屋内でしか踊られることがありません。
これは、過去に当局の厳しい指導があったからです。
1925年(大正14年)に制定された、「舞踏ホール取締に関する件」という条文の中に
「ダンスホールは外部より見通しできない構造とすること。」という項目があります。
これは、明治時代の、「社交ダンスは、公衆の面前で観覧されるべきものではない。」という
見解をそのまま受け継いだものです。
わが国においては、社交ダンスの「かたち」、すなわち「公然と男女が抱擁すること」が禁止されてきました。
その結果、社交ダンスは人目につかない屋内で行われるべきもの、として囲い込まれました。
このことは、日本の社交ダンスにとってあまりいい影響を与えませんでした。
現代においても、何となく、社交ダンスに、不健康なイメージを持つ人がいるのは
この密室性が原因なのかもしれません。
現在、ダンス教室の多くがチケット制をとっています。
つまり生徒はチケット数枚をまとめて買い、レッスンを受けるたびにそれを
渡していきます。これはダンスの世界に独特の習慣で、はじめての人は違和感を持ちます。
この営業形態の歴史は1910年代、サンフランシスコやニューヨークのダンスホールに始まります。
当時、ダンスホールは「ダンス教室」の名のもとに営業を行っていました。
やってくる客はヨーロッパからの移民やフィリピン人、中国人などです。
彼らは、1ドル10セントの入場料を支払い、細長いチケットを受け取ってホールに入ります。
ホールの端ではバンドが音楽を演奏しています。
明るく陽気なダンサーたちは、一曲踊るごとに客からチケットをもらいます。
それを半分にちぎって片方をチケット係に、残りの半分を自分のストッキングの中にしまいこみます。
曲が変わるたびに、パートナーを代えながら一晩中踊ります。
客どうしの会話もなく、無口な群衆はステップを踏みつづけます。
夜中の二時ごろ営業は終了します。
客の目的はダンスではなく、閉店後のプライベートな「デート」です。
デートの約束をとりつけるべく、男たちはひたすら貢いでいたのです。
幸運な客は、ダンサーをエスコートして夜更けの街へ消えていきます。
警官が出入り口に施錠し、ホールの一日が終わります。
一般の女性客を排除した、このようなダンスホールは、「タクシー・ダンスホール」と
呼ばれました。
1920年代から1930年代にかけてニューヨークやシカゴなどのアメリカの大都会で
タクシー・ダンスホールが増加し、やがて「社会問題」となっていきました。
日本にチケット制を持ち込んだのは、わが国におけるダンス界の「大先達」、
加藤兵次郎氏で、大正末のことです。
チケット制はダンスの世界独特ですが、その歴史を考えると
あまり良いイメージがわかないような気がします。
参考:「社交ダンスと日本人」 永井良和著
社交ダンスでも恋は芽生えるようです。
こんな文章がありました。引用します。
「ダンスは恋のシミュレーション 」
大阪市団 東六 (「ダンスファン」1997、3月号抜粋)
社交ダンスの魅力はどこにあるのかと問われて、多くの人はよく「健康にいいから」とか「ストレス解消になる」と答える。確かに適度の運動量で体にもいいし、ストレス解消にもなる。でも、運動ならほかにもたくさん種目があるし、カラオケだってストレス解消になる。ダンスと名の付くものだけでも、ジャズダンスをはじめいろいろある。ほかに考えられる答えとしては「若返るから」ということ。では、なぜ若返るのかというと、また最初の二つに戻ってしまう。果たして社交ダンスの魅力はそれだけであろうか。そこで私はその答えとして、「社交ダンスにはロマンがあるから」という理由をあげたい。
周知の通り社交ダンスは男女が組んで踊るものである。二人は技を競い合うのではなく、協力しあってひとつのものを作りあげる。言葉を交わすわけでもなく、相手のことを思いやりながら心を通いあわせてこちらの意図を伝える。それがうまく伝わって見事に形が決まった時の快感は、他のダンスでは味わえない感動である。この時の二人の心の一体感、それはひとつの愛情の表れと言えるのではなかろうか。
カラオケでデュエット曲を歌いながら恋人気分に浸っている男女もあれば、ドラマの中で恋人同士を演じている男女がその役になりきつて、本当に恋をしているような気分になることもあるという。もしかすると、社交ダンスにもそれと同じようなことが言えるのではないだろうか。そう、私たちは踊りながら恋のシミュレーション体験をしているのだ。その恋は、曲の流れている間のほんの短い、そして曲が終わればすぐに消えてしまう、そんなはかない恋だけれど、そんなロマンがあるからこそ社交タンスは楽しいのではなかろうか。
ほど良い運動量で流したさわやかな汗と、淡い恋を味わった後のほのぼのとした気分、それらが心の糧となり活力となって日々の生活を充実したものにする。それが社交タンスの最大の魅力ではないだろうか。
サルサの新聞に「サルサと恋」という特集が載っていました。
「サルサで恋が芽生えるか?」というアンケートの集計とコメントが載っています。
多くの人が恋が芽生えると、答えています。また、サルサが縁で結婚した、という
人もいます。そういうカップル、かなり多いらしいです。
「ダンスは男と女の駆け引き。上手〜い人と踊った時、「もうどうなってもいい!」
とお互い思えると思う。これで何度恋したことか・・。」(30歳 女性)
最近、サルサを踊る若い人が増えています。その背景には、男女の出会いの場として
サルサを習いはじめる人がいるからだと思います。
社交ダンスの本来の目的は、男女の出会いを演出することだと思います。
お見合いという制度のなかった欧米では、ダンスパーティこそが、将来の
パートナーを見つける公式な催しだったらしいです。
社交界にデビューする、と言えば、ダンスパーティで自分をお披露目することと
ほぼ同義だったようです。
ある雑誌の身の上相談に、「仕事が忙しくて異性との出会いがない。」という若い
女性からの投書がありました。
それに対する回答は「例えばダンスパーティなどに参加して、異性と接する機会を
もちなさい。」というものでした。
この回答者がどういうダンスパーティを想定しているのかしれませんが、
今の社交ダンスのダンスパーティで、この女性が自分にふさわしいパートナーを
見つけることは難しいような気がします。
私が若い頃、社交ダンスのサークルには結構、若い人がいて、いかにも
パートナーを探しに来ました、という妙齢の女性が入会することが時々ありました。
今でもこういうことって多いのでしょうか。
ちなみに私の従姉妹は、社交ダンスが縁で結婚しました。
結婚式では二人のダンスを披露してくれました。
社交ダンス界は高齢化が進んでいると言われています。
若い人を引き込もうと思うなら、技能の向上だけを重視するのではなく
ロマンスの演出も必要だと思います。
昔の日本の武家では舞踊は女性のたしなみの一つでした。
ただ、武家の舞踊は西洋のダンスとは違って社交を目的としたものではありませんでした。
武家の女性は薙刀(なぎなた)を護身のために修得し、舞踊を身体の動作を優雅にする
ために学んだらしいです。
新渡戸稲造はその著書「武士道」の中で次のように述べています。
この本は外国人のために書かれたもので原著は英語です。
実際、婦人は、日本の美文学史上、重要なる役割を果たしたのである。
舞踊(私は武士の娘のことを言っているのであって、芸者のことではない。)が
教えられたのは、ただ動作の角を滑らかにするためであった。
音楽は彼らの父もしくは夫の物憂き時を慰めるためであった。
したがって音楽を習ったのは、技巧のため、すなわち芸術そのもののためでは
なかった。その究極の目的は心を清めることにあり、心平らかならずんば
音おのずからととのわず、といわれた。
音楽、舞踊は生活に優雅と明朗を付加するをもって足るとなし、
決して虚栄奢侈を養うためではなかった。
わが婦人の芸事は見せるため、もしくは出世のために学んだのではない。
それは家庭の娯楽であった。社交の席にてその技を示すことがあっても、
それは主婦の務めとして、換言すれば、家人が客を歓待する方法の
一部としてであった。
旧日本婦人の芸事の目的は、その芸事たると文事なるとを問わず、
主として家庭のためであった、と言いうる。
先日、上京したついでにホテルにあった、はとバスのツアーのパンフレットを取り寄せました、。
「今宵は洗練されたエンターテインメント」の中に「今宵はダンスホールでクラシカルナイト」
というコースがありました。
東宝ダンスホールで踊るツアーです。初めての方でも、プロのインストラクターが
相手してくれるので十分に楽しめるらしいです。料金は10800円、17:30発となっています。
もう一つ、「淑女のためのトワイライトタイム」というのがあって、その中に
「新宿歌舞伎町ホストクラブ探訪」というツアーもあります。
これは、雑誌で取り上げられたことがあるので、私も知っています。
女性にはかなり人気のコースらしいです。料金は13000円、17:40発となっています。
ホストというと若いチャラチャラした男性ばかりというイメージを持っていましたが
年配のホストもいるらしいです。中には80代の男性もいるとか。
社交ダンスが上手なのは、若いホストよりも年配のホストだそうです。
ホストクラブに来る女性は、早い時間は熟女が多いですが、時間が遅くなると風俗嬢が
増えます。
気に入ったホストに毎日数万円を貢ぐ女性も多いです。
ホストはだいたい歩合給で、稼ぐ人は月に200万円以上、稼げない人は月に10万円くらいだそうです。
どういうわけか、ホストには九州男児が多いらしいです。
ハンサムな男性に、サービスしてもらったり、踊ってもらうのは、女性にとっては
気分がいいものでしょう。
社会勉強だと思って一度経験してみるのもいいかもしれません。
あまりはまりこんでしまうと問題でしょうけど。
このほかにダンスを見るのが好きな人には、「熱体高気圧!J MEN’S TOKYO」という
コースもあります。
「鍛えぬかれた外国人ダンサーのレビューをお楽しみください。」と説明があります。
料金は12300円、17:20発となっています。
雑誌「アエラ」に、「出会い」に健康と華やぎ、というタイトルで社交ダンスに関する記事がありました。
60代、70代の男女で社交ダンスが盛んだそうです。
「定年を迎え、家族の世話にも一段落した人たちが猛烈に踊り始めている。暮らしを豊かにと思う気持ちは、新たな恋の芽生えをも生む」
のだそうです。
この流行を支えるのは、戦後ダンスホールでステップを踏んだ世代です。
ブームは都会から地方へと波及し、温泉やホテルでも、ゲートボールの施設ではなくダンスフロアを併設しはじめました。
ゲートボールよりは社交ダンスの方がおしゃれな雰囲気があります。
社交ダンスサークルの魅力は、男女が出会えることと、値段の安さにあるらしいです。
ある72歳の男性は、異性との触れ合いは結果として、健康をもたらすと主張しています。
「女性を意識するから、背筋を伸ばすし、格好にも気を配るようになり、華やいだ気分にもなる。
足腰の運動にもいいんだ。」
サークルで出会った男性と恋愛関係になる女性も多いらしいです。
シニアの場合、家庭内別居や一人暮らしなど寂しさを抱えた人がダンスを始めるケースが
多いそうです。
元々、社交ダンスは男女の出会いを演出するレクレーションです。
若い人にはほとんど人気がありませんが、高齢者の間では、十分にその役割を
果たしているようです。
米国ハーバード大学医学部のケーシー・ケリガン博士のグループは
女性のハイヒールと膝の関節炎の関係について研究を続けています。
博士はこれまでに、ヒールの細いハイヒールは歩行中に膝の関節に
大きな負担をかけ、女性の関節炎が男性の二倍多いことの原因になっていると
報告していました。
今回は、平均年齢35歳、平均体重59キロの20人の健康な女性の協力で
ヒールの幅による違いがあるかどうかを調べました。
ヒールの高さは7センチとほぼ同じで、幅が平均1.2センチと平均4.5センチの
二種類の靴を用意し、これらの靴をはいた場合と、裸足の場合について
歩く時の関節にかかる力を計算しました。
その結果、幅の狭い靴では22%、幅の広い靴では26%、裸足よりも膝の関節に
かかる力が大きくなっていることがわかりました。
ケリガン博士は、「ヒールが高ければ、幅が広くても狭くても、膝にかかる負担に
差はない。ハイヒールを長時間履くのは好ましくなく、ヒールの低い靴を履くのが
望ましい。」と言っています。
しかし、女性にとってハイヒールを履くことは、性的魅力を強調する効果があります。
車輪の発明とハイヒールの発明は、どちらが人類に貢献したのか、今でも議論が続いているほどです。
ある本には、「たとえ健康に害があっても女性はハイヒールをはくことをやめないだろう。
健康でも男性に振り向かれないよりは、不健康でも男性を魅惑したいから。」と
書いてありました。
そういう意味では、コルセットなんかと似ています。
健康に良くないと言っても、昔の中国のように纏足をするよりはずっとましですからね。
欧米には「ハイヒールを脱ぎ捨てた時が、おばさんの始まり」ということわざもあるそうです。
社交ダンスではある程度、高いヒールをはかないとどうも格好が良くないようです。
ある程度は、膝に負担をかけても、華麗に踊った方がいいということでしょうか。
参考までに言いますと、膝の関節痛には、グルコサミンという天然物質が
効果があるそうです。カニやエビなどの甲羅から作ります。
この物質は膝の軟骨の成分となって、衝撃を和らげます。
ハンチントン舞踏病は悲惨な遺伝病です。
人間の第四染色体上に位置する遺伝子の変異が原因です。
ある年齢からゆっくりと心身のバランスが失われ、次第に自分自身の面倒が
見られなくなって、ついには早死にします。
その衰えは知能のわずかな低下に始まり、その後手足の痙攣へと進行します。
そして極度のうつ病に陥り、ときおり幻覚を見たり妄想を抱いたりするようになります。
救いのない不治の病です。しかもこの病は15年から25年という長い
歳月をかけて進行します。
この病気の心理的な初期症状の多くは、それを見守る患者の家族に
とっても悲惨です。いつこの病気に襲われるかと怯えながら過ごす不安とストレスは
身を引き裂かれるようなものでしょう。
原因は遺伝子です。ハンチントン舞踏病となる変異があればいずれその病気をわずらい
なければかかることはありません。これは避けようのない運命です。
どんな占星術もこれほど正確ではありません。
この病気は1872年にロングアイランドの東端で、ジョージ・ハンチントンという
医師によって初めて診断されました。その後の調べで、ロングアイランドの患者たちは
ニューイングランド出身の大きな家系に属していることも判明しました。
さらにその家系を12世代にわたって調査した結果、この病気にかかった人が
1000人以上も見つかりました。どの患者も1630年に英国のサフォーク州から
移住してきた二人の兄弟の血を引いていました。
ハンチントン舞踏病の遺伝子を持っているかどうかは、今では簡単に
検査できます。しかし、この病気はただの一例も治療できてはいません。
もし、検査の結果、この遺伝子の変異が見つかった場合、その人に
伝えるかどうか難しい問題です。
現在、遺伝子に関する研究は急速な勢いで進んでいます。
ハンチントン舞踏病のような遺伝病や遺伝に基づく障害はこれから次々に
見つかる可能性があります。
検査結果が結婚や就職、生命保険の加入の際に利用されることはないでしょうか。
遺伝子をめぐっては難しい問題が山積みしています。
参考:ゲノムが語る23の物語 マット・リドレー著
周防正行監督は映画「Shall we
ダンス?」を製作した監督です。
1956年東京生まれ、監督としてのデビュー作は、1984年の
「変態家族・兄貴の嫁さん」です。言わずと知れたポルノ映画です。
ポルノ映画から一般映画へと移る映画監督は多いです。役者さんも多いのですが。
一般にポルノ映画は、予算が少なく製作時間も短いので、若い監督が腕を磨くのに
ちょうど良い課題になるのです。
私も若い頃は映画館でアルバイトをしていたのですが、周囲では将来の監督を
目指して、若い人々が勉強していました。
助監督時代には人手が足りないので、周防監督もポルノ映画に出演したそうです。
「暗がりで女教師を襲う高校生A」とかいう役などをこなしたらしいです。
1989年に「ファンシーダンス」で一般映画にデビューしました。
1992年に「シコ踏んじゃった」で日本アカデミー賞の監督賞などを受賞し、
1996年の「Shall we
ダンス?」で日本アカデミー賞の13部門を受賞しました。
この映画はアメリカでも好評を得、その様子は本にもなりました。
また、この映画でヒロインを演じたバレリーナの草刈民代さんと結婚されました。
映画はヒットするし、本は売れるし、きれいな嫁さんはもらえるし、
周防監督にとって、映画「Shall we
ダンス?」は人生の転機をもたらした作品だった
わけですね。
社交ダンス界にとっても、ダンス愛好者を増やした効果は大きかったようです。
40代から60代の女性の間で、クラシックバレエが流行っているそうです。
その理由はバレエのシェイプアップ効果です。
バレエはヒップ、太もも、ふくらはぎなど下半身の贅肉を落とすそうです。
またフラメンコには、背中、ウェスト、二の腕などの上半身を
スマートに見せる効果があるらしいです。
単にダイエットによって痩せるのではなく、ダンスはいろんな部位の
筋肉を動かして運動しますのでトレーニングの効果もあります。
年をとると、身体の線が崩れてしまうのは、運動不足により筋肉の
繊維が細くなってしまい、皮下脂肪を維持できなくなるからだそうです。
一般にダンサーのスタイルが良いのは、ダイエットだけでなく、この
筋肉トレーニングの影響が大きいようです。
古代ギリシャのアテネの人々は、肥満体になることを非常に嫌い、
ソクラテスのような引き締まった体型を維持するために、
毎朝ダンスを踊っていたそうです。
バレエやフラメンコだけでなく、社交ダンスにもきっとシェイプアップ
効果はあると思います。
3月3日は雛祭りですが、同時に「サルサの日」でもあるそうです。
東京、恵比寿のスタジオには、この日750人のサルサファンが
集まって国内最大級のダンスパーティが開かれました。
世界のサルサクイーン、ジェシー・ネグリア(35)を米国から
招いてミニ・レッスンも行われたそうです。
昼は外資系に勤める日本の人気ダンサー、リョウコ(本名 本原亮子)
によるファッションショーも開かれました。
また歌手のマルシアも華麗な踊りを披露したそうです。
先日、映画「サルサ!」を見ました。
とてものりのいい踊りで、見ているうちに身体がリズムを取り始めました。
社交ダンスのように堅苦しくないので、若い人にも受けるみたいです。
サルサは1960年代、ニューヨークでプエルトリコ系の人々が
キューバ系移民の踊りを見て踊ったのが、始まりだと言われています
割に新しい踊りですね。
今回のパーティを主催した、サルサ・ホットライン・ジャパン代表の
渡部洋二郎さんは、「サルサは、人種、年齢、容姿に関係なく
踊れる。」と言っています。
社交ダンスにもサルサを取り入れた方がいいのかもしれません。
3月16日の天声人語から引用します。
舞台が終わるのを待ちかねて、中学生が一人、香瑠鼓(かおるこ)さん(43)を訪ねてきた。
「私にダンスを教えて。」そう言う目の焦点が定まらない。
5年前、学習障害児たちとのダンスレッスンがこうして始まった。
ひとこともしゃべらない子、独り言を繰り返している子。
4人の生徒は何を言っても耳を貸そうとしない。
固い身体(からだ)をほぐしてやりたい。音楽にも乗せてみたい。
思いは空回りするばかりだった。やがて自分の腰を痛めて気がついた。
「よくしてやろうなんて思ったのが間違いでした。」
まず楽しむ。それを第一に考えた。けいこ場は動物園のようだった。
けれども解き放たれた身体は、時折、思いがけない動きを見せた。
ばらばらに見える4人の肉体と香瑠鼓さんの肉体が響きあうのを感じることができた。
香瑠鼓さんがダンスを始めたのは高校生の頃だ。
妹は足が悪かった。自身も骨が弱かった。
常に身体を意識して生きてきたように思う。身体は無限の可能性を秘めている。
身体ひとつで新しいものを生み出したいと、20代は路上パフォーマンスに明け暮れた。
身体と向き合い、身体を知り尽くした香瑠鼓さんは優れた振付家でもある。
「慎吾ママのおはロック」をはじめ、藤原紀香の「canチュウハイ」やキムタクの
競馬シリーズなど、印象に残るCMの振り付けは、みなこの人の作品だ。
4月7日と8日、東京で香瑠鼓さんがプロデュースする公演がある。
プロもアマも車いすダンサーも障害のある子もない子も学習障害児たちも
それぞれ個性を持ち寄って一つの舞台を作り上げる。
喜びが泉となり苦しみが川となってほとばしる身体。
身体を動かすことで気持ちを伝え合えたらどんなにいいだろう。
小さい人、太った人、老いた人。身体は雄弁に語りかけてくる。
少しくたびれた自分の身体にしみじみと見入る。
3月6日の朝日新聞「ひととき」に以下の投稿がありました。
引用しますね。
ダンスホール「ワールド」が一月末をもって閉鎖したことを新聞で知った。とても懐かしい場所だったので、胸の奥がツーンとする。
社交ダンスを覚えたのは10代の終わりだった。大阪下町の大きな商店街に隣接する町で育ったが、戦後まもなくそこにはダンスの教習所が三つもできていた。白シャツと黒のチョッキを着た教師らしい人がレッスンする教習所から、客が教えるだけの教習所まであり、私は後者の方でダンスを習った。誘われるとほとんど何でも踊れたが、ステップを図にかいて説明されると全くわからなかった。
少し覚えると小さなフロアでは物足りなくなり、友人と一緒に大学生主催のダンパに大阪ミナミの「メトロ」や「富士」にまで出かけた。それらのホールが相次いで閉館し、最後まで残っていたのがキタのワールドだった。
子育てが終わってからもワールドには何度も通った。チケットを買うたびに押印してくれるカードが満杯になり、一度だけ無料で踊れるはずだったのに、ここ数年ごぶさたしているうちに閉館してしまった。
時々踊りたくなって近くのダンス教室などに入会してみるのだが、私の踊りは教師に評判が良くない。いい加減なステップのせいだろう。しかし、楽しく踊れたらよい、という私には、姿勢が悪いとか背筋を伸ばせとか言われるのはうっとうしい。ワールドで思いっきりジルバを踊った頃が思い出される。
大阪府 高城 順子 主婦65歳
淡々とした文章ですが、経験した人でないと書けない、
味のある回想文になっています。
社交ダンスが全盛期だった頃の話でしょう。
私はその時代は知りませんが、ダンスのファンとして
大きなダンスホールがなくなったのは少し寂しい気がします。
福岡高裁の判事の妻、古川園子(40)がストーカーの容疑で逮捕されました。
検察からこの判事に事前に情報が漏れて、それが社会問題に発展しています。
結婚生活15年間の間に日本各地を5回も転勤し、
周囲に友達ができずにかなり寂しい思いをしていたようです。
彼女はその寂しさを紛らわすために伝言ダイヤルにはまったらしいです。
私の知り合いにも転勤族の妻がいますが、転勤先で友達を作るのは
性格にもよりますが、一般的に苦労するそうです。
社交ダンスは文字通り、社交のためのダンスです。
初対面の人でも、一緒に踊ることによって、親しくなることができます。
古川園子容疑者も、伝言ダイヤルではなくて、社交ダンスに
はまっていれば、このような事件にはならなかったかもしれません。
人の動きが激しくなると、未知の人々と顔を会わせる機会も増えます。
新しい土地で友人を作るためには社交ダンスを始めるのも
一つの方法だと思います。
腋の下の匂いを消すデオドラントは、若い女性の必需品のようです。
腋の下にはアポクリン腺と呼ばれる皮膚腺がたくさんあります。
頭皮や陰部、へそにもありますが、最も集結しているのは腋の下です。
アポクリン腺の分泌物は他の皮脂とは異なっています。
粘着性の脂肪分で色は乳白色から、血のような赤まで、
食事内容と人種によって違いがあります。
日本人は他の民族に比べて腋下(えきか)器官が小さく、
90%には察知可能な腋臭(わきが)はありません。
アポクリン腺分泌物はそれ自体では匂いがありませんが、
人体に住むバクテリアが脂肪分とホルモンを分解してフェロモンに変えます。
このとき、匂いが発生します。このフェロモンと匂いは
異性への強いメッセージとなります。
欧米では田舎の女たらしがハンカチを腋の下にはさんで一日中畑仕事に
いそしみ、夜になってからメッセージをふんだんに吸い込んだこの布きれを
踊りのパートナーの鼻先にちょうどくるように胸ポケットに差して
予想以上の大成功を収めたという話がたくさん残っています。
またオーストリアの田舎では、今でも、ダンスパーティがあれば
女の子たちはスライスしたリンゴを腋の下にはさんでおき
パーティの終わりにそれを好みの男性に差し出して楽しんでもらう
ということが習慣らしいです。
現代社会においては多くの人が自分の体臭を消そうと必死ですが、
異性をひきつけるという点では逆効果なのかもしれません。
なお、フェロモンを感知する器官は、鼻の中にある
ヤコブソン器官です。つい最近まで、人間では退化してしまったと
信じられていましたが、ちゃんと働いていることがわかってきました。
フェロモンの研究は急速な勢いで進んでいます。
「もっとも神秘的で、もっとも人間的なもの、それは匂い・・・」
-------ココ・シャネル「その生涯、その香り」より
どういうわけか、私のハンドル名になっているアンダルシアは
スペインの一つの地方の名前です。
フラメンコと闘牛の発祥の地です。
スペインの中でも最もスペインらしい地域と言えるでしょう。
アンダルシアの語源は「野蛮な人々の住むところ」ということらしいです。
イスラム教の影響を強く受けた地域で、
フラメンコや闘牛でよく聞く「オレー!」という掛け声は
イスラム教の神「アラー」からきているそうです。
3年前に旅行しましたが、スペインの情緒を満喫しました。
特にアルハンブラ宮殿が印象に残りました。
私たちを案内してくれた女性は日本人で、フラメンコを習うために
アンダルシアに滞在しているそうです。
夕食の合間にフラメンコのさわりだけ踊ってもらいましたが
とても上手でした。
機会があれば、愛と情熱の大地、アンダルシア地方を
旅することをお勧めします。
テレビで、国際フィギアスケート・グランプリファイナルの中継を
見ました。音楽に乗って、男女が氷上で見せる演技は
ダンスそのものです。世の中にはたくさんのスポーツがありますが、
男女がペアになって、その美しさを競う、という点で、社交ダンスに
最も近いスポーツは、このフィギアスケートの男女ペアか、あるいは
アイスダンスだと思います。アイスダンスでは、タンゴのリズムに
乗って、タンゴのように腕を組んで踊るカップルもいました。
一方、社交ダンスとフィギアスケート、アイスダンスとの大きな違いは
動きの滑らかさでしょう。氷の上では流れるようにスムーズに動くことが
できますし、スピンもきれいに決まります。
社交ダンスであのような滑らかな動きが出せたら、きっと気分が
いいだろうと思います。
話は変わりますが、最近、スケートの人気が落ちているようです。
昔は若い男女の冬のデートスポットと言えば、スケート場と相場は
決まっていましたが、最近はスキーやスノーボードに人気を奪われ、
各地のスケート場は閉鎖に追い込まれています。
今時の若い人は異性と手をつないで踊ったり、滑ったりするのが
嫌いになったのでしょうか。
今年の成人式は各地で大荒れでした。
高松市では、祝辞を述べる市長に、数人の新成人たちがクラッカーを
爆発させたり、参会者に水をかけたりして嬉々として乱暴狼藉を
はたらきました。高知市では、無作法な新成人に橋本大二郎知事が
「出て行け!」と怒鳴りました。
このような事態を深刻に受け取って、今後、成人式を継続するかどうか
議論されているようです。
昔の武家社会では男子は15歳で元服の儀を迎え、
一人前として戦力に加えられました。元服の儀は
小正月の望月(陰暦の15日)に執り行われていました。
これにならって1月15日が成人の日として制定されました。
昨年からは、1月の第二月曜に変更になりましたけど。
また、女性も裳着(もぎ)という式で成人とみなされましたが、
これも12.13.歳が普通だったそうです。
このような経緯から考えると、20歳になってから成人式というのは
かなり遅いといえます。多くの新成人は既に酒もたばこも
たしなんでいるはずで、20歳になったから大人の仲間入りだという自覚は
あんまりないのではないでしょうか。
私もずいぶん前に成人式には出席しましたが、来賓の訓示を
黙って聞くのはあまり楽しくなかったです。
それよりも社交界へのデビューみたいな雰囲気で
舞踏会を開いたら楽しいかもしれません。
自治体によっては、生バンドを呼んで、ダンスパーティを
開いたところもあったそうです。
落語界のホープと目されていた桂三木助さんが、新年早々
自殺されました。まだ40代でこれからの活躍が期待されていた
矢先の死でした。最近は、中高年男性の自殺が急増しています。
昨年の自殺者は約33000人にのぼります。
一昨年の自殺者総数のうち40〜50歳台の男性のしめる割合は
約40%だそうです。不況による経済状況の悪化がその原因の
筆頭にあげられるようです。また、うつ病をこじらせて
自殺する人も増えているらしいです。
精神病で現在入院している患者は全国で35万人前後で
あり、そのうちの1割がうつ病がらみです。外来のうつ病患者は
その10倍以上で、通院していなくてもうつ症状に苦しんでいる人を
含めるとかなりの人がうつ病をわずらっていることになります。
次のような症状があるとうつ病の可能性が高いそうです。
@眠気はあるが寝つきが悪い。朝早く目が覚める。
A性的な関心がなくなった。B食欲がない。
C午前中は何もする気にならない。
D好きな趣味にも熱中できない。E言葉数が少ない。
このような症状があるようなら、早めに病院に行くことを勧めます。
今はたくさんの薬があって症状も楽になります。
また、専門家は気分転換になるような趣味を持つことを
勧めています。特に身体を動かす趣味がいいようです。
うつ病の人は、どうしても頭の中だけで思い悩む傾向があるからでしょう。
そういう意味で私はうつ病の人にはダンスを勧めています。
思い通りに動かない体を何とかして音楽に合わせて踊ろうと
悪戦苦闘しているうちに、悩みなどは忘れてしまうようです。
女優の木の実ナナさんも重いうつ病だそうです。
彼女も踊ることでうつ病を克服されているのかもしれません。
新年あけましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いします。
正月のテレビでロシアのバレリーナ、.マイヤ・プリセツカヤの踊りを
見ました。1925年生まれだそうですから、今年で76歳になられます。
テレビでは彼女の72歳の時の録画を放映していました。
彼女の代表的なダンス「瀕死の白鳥」でしたが、70歳を越えて
あんな踊りができるなんてすごいですねえ。
顔も若いし、背筋もピンと張って、なんか信じられない感じです。
やっぱりダンスをやると年をとらないのでしょうか。
彼女は若い頃、ソ連に対する反乱分子の子供として
当局から監視されていたそうです。
彼女はバレリーナとして成功した後も、地位や名誉に
縛られず、世界中で踊りつづけてきました。
それはともかく、彼女のようにいくつになっても若々しく
踊ることができたらいいだろうなあ、と年の初めに思いました。
小柳ルミ子の元亭主、大澄賢也氏は、離婚後も相変わらず
浮名を流しているようです。彼はダンサーとしてはかなり優秀で
仕事には困らないそうです。そういえば、安室なみえの亭主も元ダンサーです。
彼らに限らず、ダンサーは昔から女性にもてる存在でした。
これにはちゃんと生物学的な理由があるそうです。
一般にスポーツと言うのは、ある目的のために空間の中で身体を
すばやく自由に動かす動作です。
この動作に必要なのは、空間認識能力です。
そして空間認識能力をつかさどるのは、右脳です。
つまりスポーツができるというのは右脳が発達している、ということです。
右脳は胎児期にその胎児自身が分泌するテストステロンの働きによって
発達します。ということは、右脳が発達しているということは、
胎児期にテストステロンのレベルが高かった、と言うことがいえます。
そして、そのレベルは今でも高いだろう、と推測できます。
テストステロンは男性ホルモンの一種で、生殖本能と闘争本能をつかさどります。
このホルモンのレベルの高い男性は一般的に異性への関心が深く
性的魅力があります。オスとして優秀な能力を持っています。
女性の場合、このホルモンレベルが高いと
いわゆるおてんばな娘、男勝りの女、になります。
ダンスの場合はスポーツよりもさらに右脳を使います。
音楽に合わせて身体を動かす必要があるからです。
というわけでダンサーは普通の男性よりもテストステロンレベルが高い
ということが言えます。
ホルモンの影響で性的魅力に富むダンサーは女性にもてるらしいです。
私が一向にダンスが上手にならないのはテストステロンに欠けている
ことが原因のようです。
皆さん、良いお年、良い新世紀をお迎えください。
現代は脳化社会なんだそうです。
人間の脳が肥大してしまって、身体感覚が失われつつあります。
あらゆることを頭で理解しようとする傾向があります。
東京大学の跡見順子教授は新聞に「身体が命と脳をはぐくむ」と
題して以下のような投稿をされています。
「IT(情報技術)革命、遺伝子解読、遺伝子組み替えなどの
進展と裏腹に、人間が生きている実体、「からだ」の視点が見えない。
生きている実感が希薄である。
ヒトにとって「運動」とは何なのだろうか。
私は、身体運動科学の立場から、生命の本質は、
運動するシステムにあると考えている。
運動することによって、ヒトは身体の快適さ、面白さ、
心の切り替えなどを身をもって感じ取ることができる。
自分で歩いたり走ったりした道や町はなかなか忘れない。
そういったことの重要性を最近、ますます切実に思う。
脳は、「からだ」の環境との相互作用によりはぐくまれる。
「からだ」を介した実体験は、計り知れない意味をもたらす。
それによって、さまざまな問題を有機的につなげる主体的な
概念が形成できるのではないか、と思う。・・・略・・・
東洋の風土は禅やヨガを生み「心身一如」の言葉をはぐくんできた。
日本人は心とからだは一つで世界観、自然観の中に育ってきた。
一歩進めて、脳と生命をつなぐ「からだ」の理解は、自己と他をも
つなぐのではないか。」
ダンスは、音楽にあわせて、自分の身体を動かす運動です。
頭で理解するだけでは踊ることはできません。実際に身体を
動かし、身体でマスターするしかありません。
頭でっかちの人間にならないために、たまにはダンスを踊ることは
とてもいいことだと思います。
情報によると、国際オリンピック委員会(IOC)は、社交ダンスを
オリンピックの正式種目に入れることに反対しているようです。
もし、社交ダンスがオリンピック競技になれば、もっと多くの人が
興味を持ってくれるだろうと思っていたので、少し残念です。
そういえば、シドニーオリンピックの閉会式でも
ボールルームダンスが披露されていましたが、あまり
注目されていなかったような感じがしました。
冷静に考えると、ダンスはオリンピックには向いていないような
気もします。ダンスはダンスであって、スポーツとは
一線を画していると思います。スポーツとしてのダンスを
追求すると、本来のダンスの持ち味がなくなるのではないでしょうか。
競技ダンスもいいですが、パーティダンスもまた楽しいです。
オリンピックの種目になれなかったのは残念ですが、
それによってダンス愛好家が減ることはないでしょう。
ダンサーやミュージシャンは一般に性的魅力があります。
我々は、音楽の才能を持つ人々に対して、性的に惹かれる
傾向を持っているようです。
そのことに関して、ある進化生物学の本に記述がありましたので
引用します。
「ダンス、音楽、ユーモアは全て、人間だけに見られる特徴である。
リズミカルなメロディーを聞きたいという欲求、ジョークで笑いたいという
欲求は、明らかに生得的に発達するものだ。こうした欲求は
目新しさと技巧に執着するのが特徴で、若者に多く見られる。
ビートルズマニアからマドンナにいたるまで
(遠くさかのぼればオルフェウスまで)、音楽の創造力を
備えた若者は、いやが上にも性的魅力がある。
人間の普遍的特性なのだ。」
中学、高校時代、当時不良と言われた男子学生は、バンドを作って
一生懸命練習していました。文化祭なんかで演奏させると、
これが結構かっこいいのです。僕は彼らを見直しました。
当然、彼らは女性にもてました。
また、中学の時、全く勉強しなかった同級生がダンスパーティに
女性を連れてきて、ジルバを見事に踊りました。
この日のためにおそらくかなり練習したのでしょう。
衣装もばっちり決めていました。
今思えば、彼の踊りを見たことが、僕が社交ダンスを始めるきっかけに
なったようです。
残念ながら女性にはもてませんでしたけど。それはともかく
音楽とダンスと性的魅力は切っても切り離せない関係にあります。
宗教と踊りは時に密接な関係を持つことがあります。
音楽に合わせて身体を動かすことで、精神的な高揚感が
得られるのかもしれません。
一遍(1239〜1289)という鎌倉時代の僧は、16年にわたり
全国を遊行し、踊り念仏を編み出しました。
この踊りは、高床に屋根つきの舞台が組まれ、僧尼たちが
時計回りに踊りながら、念仏を唱えます。
その踊りは、足は跳ね上げるは、床は踏み鳴らすはで、
かなり激しいものだったらしいです。
この踊りで重要な役割を担ったのが、一遍に同行した尼さんたちでした。
念仏の声も女性が加わると美しくなります。
また男女が入り乱れて踊るうちに、性的なエクスタシーと宗教的な
エクスタシーが一体化しました。僧尼は踊るうちに恍惚の世界に
入り込み、その表情に人々は、あそこには極楽浄土があると思いました。
当時は、蒙古襲来の前後で、世情が不安定であり、都市の人々は
不安と怒りにかられていました。そこに現れたのが、一遍の踊り念仏でした。
そのエクスタシーを伴う踊りは、行き場のない人々の怒りと不安を解消する
のに十分でした。
現代社会においても、社交ダンスはともかく、ラテンダンスやパラパラは
人々の熱烈な支持を受けています。
これも先の見えない現代の社会情勢の影響かもしれません。
参考:11月19日 朝日新聞
以前に紹介した萩原葉子さんの文章です。
北海道新聞から引用しました。
ダンスを習っている言うと、白い眼で見られるのが普通だった。社交ダンスなどは風俗営業として取り扱われ、踊るなんぞ下等な人間のする事とみなされていた。最近やっと解除になったそうであるが若い女にエッチなことを喋って飲んでいる方が、よほど下等ではないかと思う。このたび「ダンスで越えた私の人生」という本に、小説とダンスの切っても切れない関係を書いたが、もしダンスを続けていなければ、寝た切り人生であったかもしれず、むろん小説も書けない哀れな一生だったろう。ダンスのおかげで今日まで四十冊近い本を出すことができた。
ダンスを始める前は、三十分も机に向かっていると疲れてしまい、集中力が無く困ったが、始めて三か月で別人のようにパワーが出て、七、八時間机に向かっていられるようになった。四十三歳の時、「天上の花」という小説を執筆中に入院する羽目になり、手術後の不調からダンス入門したのであった。
当時は今のようにカルチャーセンターやジャズ・ダンス教室などなく、中年世代が踊れるのは、社交ダンスだけであった。病院通いするよりもダンスで体力アップを、と決心したのが当たり、中断していた小説が不思議なくらい早く書けて、おまけに田村俊子賞と新潮社文学賞をタプル受賞した。だが、世間の人の白い眼は変わらなかった。商店の主人や、知人達まで「これ、やってるの?」と、足を挙げたり、抱き合う真似をして見せる。そして俄かに痩せてプロポーションが良くなったことを、「ダンスの先生と恋しているからでしょ?」とニヤニヤするのだった。社交ダンスは3ヶ月で止め、学生が背番号を付けて競技会で踊る教室へ移ったのであるが、先生には恋ところか学生と同じレベルでレッスンされ、ハイヒールで四十分問も走り回されるというハードさとの戦いだった。おまけにヒステリックに叱られるので、「よく我慢出来ますね」と学生達に言われたものである。叱られ過ぎて嫌になったり、仕事疲れした時などには、休んでしうこともあった。
するとすぐ元の病弱な体質に一民ってしまい、細胞が死んだ感じになるのである。その後、フラメンコ、モダン、タップ、クラシック、ジャズと、ダンス歴を重ね、デュエット・ダンス十年を経て、数えてみるとダンス人生は三十年にもなっていた。そして七十代に入ってからデュエットの中にアクロバットを取り入れる危険で難度の高い技にあえて挑戦、今年で六年目に入った。近頃てば白い眼で見られることもなくなり、逆に「雰囲気がダンサーっぽくなった」と、いわれるまでになった。それもこれも35年間の悪戦苦闘があったからである。途中で世間の白い眼に負けていたら、今日の私はなかったと思う。
私が文筆で暮らすようにたったのは三十八歳と遅かったが、「これだけは書かなくては犬死である」と、勇気を出して書いた「蕁麻(いらくさ)の家」は、五十五歳の時であった。その頃老人ボケした母親に苦しめられながらも書き上げられたのは、ダンスという救いがあったからこそ、と言える。八歳の時、両親の離婚で父方の祖母に青てられ、「息子を裏切った憎い嫁の子」と虐待され、虫けら以下と言われた。大人になっても自信を持てず、対人恐怖症で口を利けなかった。が、それもダンスで克服することが出来た。「蕁麻の家」三部作の完結編「輪廻の暦」のラストは、「百歳まで一緒に踊ってあげる」と若い先生に励まされて生き生きと毎日を送るというヒロインの明るい結末となった。私にとってダンスは名医であり、神様でもある、と信じている。
本が出る度に家のスタジオに客を招いてダンスを見てもらうのが習慣になっているが、小説を書くエネルギーの源泉にもつながっているのである。小説家で友人の岩橋邦枝さんは「葉子さんの文体がリズミカルで読みやすいのは、ダンスの影響かしら?」と言ってくれたりするが、ますますダンスと私は切っても切れないのである。
(はぎわわ・ようこ「蕁麻の家」三部作などの作家活動により、第40回毎日芸術賞、第27回高橋元吉文化賞を受賞)
デモンストレーションや競技会で見られる、いわゆる
「ばっちり決まった」踊りをピクチュア・フィガーといいます。
女性が身体をいっぱいに使って後ろに反ったり、足先が
顔の上まで持ち上がったりする、美しいポーズです。
ピクチュア・フィガーを決めるためには、身体に十分な
しなやかさが必要です。ダンスをやる人は一般に普通の人よりも
身体の柔軟性が勝っているそうです。
柔軟性とは、関節がどの程度の範囲を動かすことができるかの
可動域を示しています。各関節は筋肉や腱やじん帯にとりまかれているので
これらのものが固くなって弾力性がなくなると
関節の動く範囲がせまくなります。
そうなると、身体を動かすことがおっくうになり、
運動能力はだんだんと衰えてきます。
また、運動不足から肥満や糖尿病になる可能性が出てきます。
身体の柔軟性を保ち、健康を維持するために、
社交ダンスは有益だと思います。
テレビでロシアのサンクトペテルブルグにある、国立バレエ学校
(ワガノア・バレエアカデミー)の練習風景を放映していました。
この学校に入学できるのは、9歳から10歳までの少年少女で
体格検査、体力検査、精神面のテストに合格した人です。
約30人に一人しか合格できない狭き門です。
合格しても、練習は厳しいです。一般教養の授業を受けた後、
毎日6時間バレエの練習をします。17歳で卒業ですが、難しい
卒業試験を受けます。毎日、激しい練習をしますが、何より大変なのは
ダイエットです。17歳といえば、食べ盛りですが、将来バレエダンサーを
めざす人は徹底した体重制限が求められます。
昼間は水一杯、夜に肉をほんの少し、あるいはそばの実のおかゆだけ、
という生活が続きます。バレリーナにとって、体重が増えることは致命傷だ
そうです。動きに切れがなくなるらしいです。
見た目には、とても優雅で美しいですが、栄養学的にはかなり無理して
いるんじゃないかな、と思いました。うそか本当か知りませんが、
バレリーナには無月経の人が多いそうです。
女性ホルモンは脂肪から作られますから、あまり痩せると、女性ホルモンが
作られなくなる可能性があると思います。
あんまりバレエを人に勧める気にはなりませんでした。
アメリカインディアンには伝統の踊りがたくさんあるそうです。
その一つがストレートダンスです。
コマンチ族、ミズーリア族、カイオワ族、ポンカ族、オセージ族
オマハ族など、太平洋沿岸で伝統的に踊られています。
物語の形式を取っていて、戦士たちが戦士をたたえて踊るという
かなり独特のものです。今日のように、もし、踊り手に実戦の経験が
なければ、かつて戦った親類や友人をたたえて踊ることになっています。
手に棒を持ち、その棒を地面につけることで自分を大地につなぎとめ
同時に大地をもたたえます。晴れ着の上につけるカワウソの毛皮の
伝統的な垂れ飾りは戦士を表していて、首から地面まで届きます。
また、ブラッシュ・ダンスは、男女の出会いのダンスです。
11人か12人の未婚の娘が紹介されて、一緒にダンスをします。
ユーロック族、カロック族、フーパ族、トロワ族の全ての人々が
集まってきて、三日間、ダンスの祭典が行われます。
アメリカインディアンは、ヨーロッパからわたって来た移民たちに
かなり迫害を受け、その文化も多くが消滅してしまいました。
しかし、近年、世界的に少数民族の声が大きくなり、インディアンの文化を
復活させる動きも芽生えているようです。
参考:「風のささやきを聴け」チーワ・ジェームズ著メルクマール
それから、2週間後・・・今年最後のコンペは、10月1日の「八王子市」のコンペで
終了しました。今回は、ランキング戦がなく、スタンダードの連盟会長杯とラテンの
読売新聞社杯です。ラテンは、昨年、準決勝までで終わりました。ランクが読売新聞社杯
は「A リーグ・JDSF D
級以下」で、他県からも遠征してきますので、レベルが高く、
種目もルンバ、サンバ、チャチャチャの3種目で、チャチャチャは2級戦以来なのと
フィガーも変更しているので、ほとんど、ラテンのレッスンで、2週間が過ぎました。
コンペは、ラテンが決勝に残り5位に入賞し、トロフィーを頂きました。練習不足の
スタンダードは、2次予選まででした。1ヶ月間に2個所のコンペに、ラテンと
スタンダードの両方に出て思ったのは、やはり、技術もさることながら、体力も勝負
のうちということでした。
今回は、ラテンが先に行われたので、体の疲れかたは、激しいようで、やはり、スタンダード
が先の方が楽かなーなんて、思ったりしました。
それから、両方だと、着替えもあるし、決勝に残ると、やはり忙しいので、気持ち的余裕が
なくなってしまうようです。もっとも、上手な人は、そんなことないのでしょうけれど、
どちらかが、若葉マークだと、余計そうなんだろうと思いますね。(笑)
そんなわけで、今年のコンペは、まあ良い成績を残すことができました。
応援してくださった皆さん、いつもありがとう!
寒さに向かいますので、お体に気をつけてね。
6月から始めたスタンダードのレッスンも、夏には、何とか<様>になってきたかなと
思われるようになり、9月17日の「中野区」のコンペに出ることにしました。JDSF
4
級戦 スタンダード(ランキング戦)です。同時開催のラテンは1級戦(ランキング戦)
です。(3月のコンペでD 級になっていましたが、今年いっぱいは、元の級ー1級戦
にも出られます)
スタンダードのデビュー戦の4級戦は、平服です。モダン用のレオタードとスカート
やベルト、タイツなどのグッズも必要で、今までのラテンの衣装にさらに加わり、荷物
も多くなりました。誰も助けてくれないので、肩こりしそう・・・(笑)
当日は朝から、雨が降ったり止んだりの空模様で会場に着くか着かないところで、ザー
と降られてしまい、あわてて傘をさすなんてこともあり、印象深い幕開けでした。
雨と雷の外の天候とは、うらはらに、中は、サウナ状態・・・熱気でムンムンした暑さの
中で、コンペが始まりました。
コンペは、スタンダードから予選が始まり、エントリーしていた4級戦は48組・・・
種目は、ワルツとタンゴの2種目です。24組アップです。ワルツ3点、タンゴ5点
で、8点でした。(これで、今回の目標はクリアですー(笑)ー)
2次予選は12組アップです。これはワルツ4点、タンゴ5点で、9点でした。
だんだん、馴れて、緊張がとれてきたようです。応援の人のありがたいアドバイスもあり、
点が上がっていきました。そして、準決勝、6組アップです。
ワルツ5点、タンゴ5点で、10点満点でした。タンゴは、ずっと満点でした。
決勝・・・6組で、気持ちよく踊ることができました。
ここまでで、ワルツ、タンゴの2曲を4ラウンドで、8曲踊りました。
競技をやっている者にとっては、<もう1回踊れれば良いね>という気持ちが少なからず
あると思いますよね。私も1次落ちは、寂しいかなと思い、せめて2次まではという
願いが叶い嬉しい気持ちと、この後のラテンのこともあり、各予選が終わる毎に、「
あれ、まだ、着替えられない」という複雑な気持ちでした。(笑)
そうしているうちにラテンのコンペが始まりました。種目は、ルンバ、サンバ、パソドプレ
の3種目です。1次予選通過、2次予選通過、3次予選通過、準決勝通過、そして、決勝に
残りました。ラテンは、3種目で、5ラウンド、15曲踊ったことになり、スタンダードの
8曲と合計23曲踊りました。こんなにたくさん踊ったのは初めての経験でした。
ラテンの最後は、若いリーダーさんもボロボロでした。(笑)
でも、皆さんの応援や励ましのお陰で、表彰式で、スタンダード 優勝、ラテン 準優勝
で、2個のトロフィーを頂き、ダンスビュウの写真にも収まってきました。(笑)
今年初めての経験のスタンダード戦とそして、両方に出場するという、前からの念願が
叶い、嬉しかった反面、やはり、大変だなーというのが、正直なところでした。
最後は、体力勝負・・・って感じで、ほんとに、疲れました。
いつも応援ありがとう!これからも、まだまだ、若葉マークのスタンダードと奥が深く
課題がいっぱいのラテンに取り組んでいこうという思いを新たにがんばります。
パールさんの投稿です。
木々の葉も、赤や黄色に色ずく頃となり、朝晩の冷え込みが秋を感じさせられる
今日この頃、ダンスを愛する皆さんは、その後、如何お過ごしですか?
私は、今年前半の予定で5月21日に「品川区」のオープン戦(Aリーグ
JDSF C級以下)で、ぎりぎり、6位に入賞し、トロフィーをいただきました。
そして、6月4日の駒沢オリンピック公園屋内球技場で行われた第53回都民
体育大会春季大会(団体戦)で、サンバの単科戦で、準決勝までという結果で
(市の順位は6位でした)コンペは終わり、6月13日から、念願のスタンダード
のレッスンに入りました。(ワクワクでーす。(笑)・・・)
種目は、ワルツ、タンゴ、スローの3種目ですが、ワルツの簡単なフィガーを4
〜5つくらい先生に教えていただきました。ナチュラルターン・スピンターン・
ウィスク・シャッセフロムPP・ウィーブ・ウィングです。
そして、タンゴはウォークリンク・プロムナードターン・バックコルテ・ツイスト
ターン・ファイブステップ・コントラチェックです。
スローは、フェザーステップ・リバースターン・フェザーフィニッシュ・
スリーステップ・インピタスターンを教わりました。
フィガーは、それぞれ4〜5つくらいですので、何とか覚えられましたが、ラテンと
違うのは、ウォークです。
始めの頃は、フィガーのおさらいをしながら、ウォーク(前進&後退)の練習です。
ボディーを運ぶ足の動き方を、ただ足を置いただけではなく、足を下げてボディー
を移動させていくに従って、足の裏が爪先からボール、踵・・・と順番にゆっくり
着いていくという風に足の裏全体を使って滑らかに・・・というのがとても難しい
ですね。
ボックスの足の送り方、出し方もレッスンしました。足首、膝を柔らかく使って
ボディーを送って乗ることが滑らかな動きを作るのです。
フットワークと簡単に言いますが、それを使って動くことは簡単ではありません。
ボディーコンタクトもラテンには、無い部分です。 手を使わずに、二人で、ボディー
を押し合い(プッシュ)ながら、前進、後退ウォークをするレッスンもしました。
又、フットワークも兼ねて、両手を二人で胸の高さに出して押し合いながら、前進と
後退のウォークをするのですが、どちらかが強すぎても、弱くても駄目で、ギクシャク
した動きになり、とても、滑らかとは言えないようです。
足の出し方も、また、下げかたもラテンは爪先が開き気味が多いですが(フィガー
にもよりますが)まっすぐか、やや内側という感じで、膝を締めるように、よく
注意されました。どうしても、外股になりがちなのですよね。(笑)
それから、大切なのは、ホールドです。首から背中を天井に吊り上げられるような
感じにスッキリ伸ばさないと、人が見て綺麗とはならないようで「えーこんなに
するの?」というくらいでした。それを崩さずに、フットワークを使って、習った
フィガーを組み合わせて、1曲踊るのは大変です。(笑)
そして、上半身と下半身のボディーの絞りかた、足の出し方、角度、歩幅、爪先の
向き、どれ一つとっても少しでもズレると、お互いに良い踊りは出来ないようです。
女性が男性の動きを敏感に察知して動くことや、男性が正しい方法で(手で、引っ張
ったり、肩を突き出したりせずに)動くと、女性の自然な動きに良い影響を与え、
とても一体感のある動きになるのだと思います。
分かっていても、なかなか出来ないですが、それでもレッスンは順調に進んでいきました。
新しい事を覚えるのは好きで、出来ないことが出来るようになるのは、もっと好きで
そして、レッスンも張り合いがあって楽しくがんばれました。若葉マークですけれどね。
ある本にダンスパーティのマナーが書いてあったので列記します。
(男性のマナー)
・ダンスを申し込むときは、紳士らしい態度で、「お願いできますか?」と
言って申し込む。 無理やり手を引いて、フロアに連れ出すようなことを
しないこと。
・女性に同伴者がいるときは、必ず同伴者の承諾を得てから申し込む。
・踊りが終わったら、「ありがとうございました。」と礼を言い、女性を
エスコートして元の場所まで送り届ける。フロアでそのまま別れないこと。
・他のカップルとぶつかったときは、たとえ相手が悪くても誤るのがエチケット。
(女性のマナー)
・ダンスを申し込まれたら、特別な理由がない限り、受けるのが礼儀。
ただし、同伴者があなたのために飲み物などを取りに行っている時は
応じてはいけない。
・マナーに反するような乱暴な申し込み方をされた場合は、はっきり
断ってもよい。
・踊っている時に足を踏まれてもいやな顔をしてはいけない。
・常ににこやかに応対すること。
・踊り終わったら女性も「ありがとうございます。」と礼を述べ、
男性のエスコートで席に戻る。
・大きなパーティでは知らない男性の申し込みを断ってもかまわない。
・女性の方から申し込むことはできない。
結構、いろいろとマナーがあるんですね。私も知りませんでした。
「ダンサー」という映画の試写会を見にいきました。
生まれたときから言葉をしゃべれない女性ダンサーの物語です。
11歳の頃からダンスの練習をはじめ、どこのディスコに行っても
そのダンスのすばらしさで観客を魅了します。
やがて彼女にロードウェイのオーディションを受けるチャンスが訪れます。
選考で最後まで残りますが、言葉がしゃべれないため、落とされます。
悲嘆にくれますが、ある日、彼女のダンスが一人のハンサムな科学者の目に
とまり、話は急展開を迎えます。
ダンスは身体表現の一つである、ということを示唆した映画です。
昔、上映された「フラッシュダンス」を彷彿とさせる映画でした。
ダンスをテーマにした映画は好きです。
最近、肩こりに悩む人が多いそうです。
私の知り合いにも肩こりがひどい人がいます。
肩こりの原因は、猫背、O脚、顎関節症、ストレス、冷え性などだそうです。
確かに肩こりに悩む知り合いは猫背で姿勢が悪いです。
ダンスをやる人は皆さん、姿勢がきれいです。
背骨がまっすぐに伸びて、無理な力が筋肉にかかっていません。
そういう意味でダンスは肩こりに効果があるのではないでしょうか。
肩こりにはマッサージも効果があるそうです。
バンコクに行ったとき、タイ式マッサージをやってもらいました。
約1時間半かけて、全身の筋肉をほぐしてくれます。
かなり力をいれるので、体中からゴキゴキと音がしました。
でも、終わったときはとても気持ちが良かったです。
ダンスをやってマッサージを受ければ、肩こりには、効果バツグンかも
しれません。
創造的なダンスを提唱している東京・シアターX(カイ)主催の
ワールド・シアトリカルダンス(劇的舞踊)セレブレーションが
9月2日と3日、京都で開かれました。
ダンスの現状と未来を考える取り組みだそうです。
この催しにダンスとは全く異なる分野で活躍する科学者たちが
参加しました。科学者とダンサーが新たな表現方法を模索するのが
ねらいだそうです。生命誌研究者の中村桂子氏と山海塾の
岩下徹氏による「そして、生命は・・・」、西田敬一・サーカス村村長
カナダ人舞踏家ラズ・ブレザーによる「縄」、林昭男・滋賀県立大学教授(建築家)と
舞踏家ケイ・タケイの「木」などが演じられました。
いずれも現在の社会やダンス状況についてディスカッションし、それに
基づいて舞踏家が即興的に踊ったそうです。
学者とダンサーってお互い対極にあるような人種ですが、話が通じるところも
あるみたいです。
そういえば、先日、中村桂子さんが広島で講演されました。
私も聞きに行きましたが、生命学からみた独特の社会観が興味深かったです。
21世紀は生命学の時代だそうですが、生命学、生物学関係の本を読んでいると
結構、ダンスの話が出てきます。交尾の前のダンス、精子のダンス等々。
21世紀は同時にダンスの世紀かもしれません。
8月16日から三泊四日でタイを旅行しました。
映画「アンナと王様」を見て、急にタイに行きたくなったのです。
一日目は古都、アユタヤを見物しました。アユタヤには室町時代に
日本人町があったそうです。山田長政の像がありました。
途中、象の背中に乗って、田園を散歩しました。前から象に乗りたかったので
大満足でした。古い寺院を見た後、チャオプラヤ川を船で下りました。
チャオプラヤ川は以前はメナム川と呼ばれていた、とても大きな川です。
川べりには多くの寺院が見えました。タイの寺院はとてもきれいです。
その夜はタイ式マッサージを受けた後、タイの古典舞踊を見ました。
日本の盆踊りのルーツかと思われるような優雅な踊りでした。
翌日はバンコク市内を見物しました。バンコクは思ったより大きな町でした。
人口800万人だそうで、交通渋滞がひどいです。
王宮とエメラルド寺院に行きました。タイ観光のハイライトです。
タイは仏教がとても盛んな国で、その中心がエメラルド寺院です。
黄金と宝石がちりばめられた建造物はまばゆいばかりです。
短い旅行でしたが、とても楽しかったです。
もし機会があれば、微笑の国、タイへ旅行することをお勧めします。

バリ島では、ガムランという舞踊を親から子へと伝えます。
バリでは踊りも音楽も生活の一部です。
年に数十回もある祭りや儀式に不可欠な、神への捧げ物という性格を
持っています。踊りはまた家族や一族の絆を強める役割も
果たしています。
生物として、親から子へと遺伝子は伝えられます。しかし、これは
人間に限らず、全ての生物に共通の事象です。人間が他の生物と
違うのは遺伝子だけでなく文化をも子孫に伝えてきたことです。
最近、日本では家族の絆が弱くなってきた、といわれています。
その一つの原因として、家庭の中で親から子へと文化を伝えるということが
少なくなってきたことも上げられるような気がします。
言葉を教える、文字を教える、ということも大切なことですが、
バリの人々のように、身体を使って舞踊を教えることも親子の絆を深めるには
効果があるのかもしれません。
歌舞伎役者の坂東八十介氏(44)と元フジテレビアナウンサーの
近藤サトさん(32)が先日、離婚されました。
梨園で離縁されたということですね。
昔、唐の玄宗皇帝は梨を植えた庭園で、自ら音楽を教えたそうで
その故事から俳優の社会を梨園というようになりました。
日本では特に歌舞伎俳優の社会を梨園と呼びます。
歌舞伎は1603年、出雲大社の巫女、出雲の阿国が京都の四条河原で
念仏踊りを始めたのがその起源です。1603年と言えば、徳川家康が
江戸幕府を開いた年で、NHKの大河ドラマでも、出雲の阿国の踊りを
見物する場面が出てきました。始めはかぶき踊りと呼ばれていたそうです。
かぶき、とはかぶく、即ち、傾く、異様な、新奇な、という意味があります。
始めは踊りが主体で、その踊りの合間に狂言が演じられていました。
やがて、踊りと踊りをつなぐ簡単な筋立てができ、狂言方が脇役を演じる
ようになって、だんだん演劇としての体裁を整えるようになっていきました。
また、江戸時代に、風紀を乱す、ということで女性の参加が禁止され
男性だけで演じられるようになりました。
現在、歌舞伎俳優は300人いて、30を超える屋号があるそうです。
ちなみに坂東家の屋号は「大和屋」です。
坂東家は門弟3万人を超える日本舞踊の坂東流の家元も兼ねています。
このことが今回の離婚の背景にあったらしいです。
面白いのは、歌舞伎界は松竹が取り仕切っていて、俳優の結婚、離婚には
松竹がからんでくることです。
「ユリイカ」や「現代思想」の編集長だった三浦雅士さんが、
今、ダンスにのめりこんで、「ダンスマガジン」という雑誌まで発行されています。
ある雑誌の中で、生命学者の中村桂子さんと対談されています。
「生きているということは、いずれ死ぬということでもあるのですが、
そういうことは頭では理解できない。全身で腑に落ちるしかない。
そのために人間は踊ったわけです。頭で考える以前に、実は
身体そのものが宇宙に反応しているということ。それが再生の
儀式としての舞踊だったんです。身体を介して宇宙と照応し共振するのが
舞踏ですが、それこそ精神の始まりだったんじゃないでしょうか。
ですから、近代に始まった芸術という考え方なんかよりはるかに古い
いっそう根源的なものが舞踊なんですね。」
近代は、精神を身体から切り離して考える傾向がありました。
これはデカルト以来の考え方です。
最近、「デカルトのエラー(邦題は、身体の一部としての脳(あやふやです。))」
という本を読みましたが、脳はあくまで身体の一部であり、
身体を切り離して、精神だけで生きることはできないらしいです。
現代社会は、ややもすると、脳ばかりを酷使して、身体を使う機会が減り、
生きている実感が希薄になりがちです。また、テレビゲームや
インターネットのようにバーチャルな世界があたかも現実のように錯覚して
しまう危険もあります。
私たちは身体を使って考えるという訓練をする必要があります。
ダンスを踊るということは、この身体感覚を取り戻すという意味でとても
大切なことだと思います。
BIOHISTORY 27号より
脚本家の三谷幸喜さんが、真田広之さんと川平慈英さんが踊る
シーンを見て自分も踊ってみたそうです。川平さんは日本を代表するダンサー、
真田さんはジャパン・アクション・クラブで中学時代からジャズダンスを
やっていました。彼は日本舞踊玉川流名取・玉川大輔でもあります。
「楽しそうに踊る彼らを見ていると、自分も踊れそうな気になってくるから
人間って恐い。稽古の合間に僕もちょっとやってみました。
信じられないほど踊れない。川平さんに教えてもらった簡単な
ステップもまるで歯が立たない。・・・・あまりに初歩的なステップも
まるで屋外に放置されたブリキ人形。僕の関節はネジを締め付けた
ように固い。理屈ではわかっているのだが、体がついていかない。
全身が舌ったらずになった感じとでも言いましょうか。
軽々と踊っているように見えた彼らのステップが、いかに技術と
精神力に裏打ちされていたか、まざまざと思い知らされる。
自分でやってみないとわからない僕も僕だが。
踊れるって、なんてすばらしいことでしょう。」朝日新聞 6月10日より
三谷さんが言われるように、ダンスは実際に自分で踊ってみないと
その難しさ、奥の深さはわかりませんね。
ダンスを見るのは楽しいですが、自分で踊ってみると、さらに
楽しいです。最初は誰でも、へたです。私は未だにへたですが。
でも、練習しているうちに少しずつ上手になれます。どんな不器用な人
リズム感のない人も時間さえかければ、だんだんと踊れるようになります。
思い切ってダンスをはじめませんか?世界がひろがりますよ。